アメリカ人の物語

2018年1月8日月曜日

アンドリュー・ジャクソンの就任式

1829年3月4日、アンドリュー・ジャクソンン就任式が行われた。ある女性は友人に宛てた手紙の中で就任式の様子について詳しく書き残している。

「就任式の説明に残りの紙幅を使おうと思います。就任式は詳細まで記せるような小さな出来事ではありませんでした。就任式は大きな出来事であり、壮観であり、道徳の重要性を感じさせるものでした。たくさんの人々が階級の別なく連邦議会議事堂の周りに集まっていて、大統領が柱廊に登場するのを待って静かに整然と建物の正面に目を向けていました。円形広間の扉が開き、儀式係に先導され、最高裁判事達に囲まれ、栄光の冠のような白髪を戴く老人が進み出て人々にお辞儀をしました。人々は空を切り裂く叫び声を上げ、周囲の高台やアレクサンドリア、ウォーバートン砦から祝砲が撃たれ、彼が行った宣誓が伝えられ、丘はその音で振動しました。壮観で崇高でした。ほとんど生きもできないほどの沈黙が続き、多くの人々は彼の声を聞こうとしました。しかし、彼の声は非常に低く、彼に最も近い者達にしか聞こえませんでした。演説を読み上げた後、最高裁長官によって宣誓が執り行われました。儀式係が聖書を捧げ持ちました。大統領は聖書を儀式係の手から取って、その表面に唇を押し当て、恭しく下ろしてから再び人々にお辞儀しました。主権者である人民に向けてです。そして、儀式がここで終わっても、自分の意思で静かに集まった自由民が軍隊の力が背後にあるわけでもなく道徳の力のみで自制している様子は究極の威厳であり、軍隊や輝く黄金に囲まれている諸国の王公の威厳に優っているとヨーロッパ人でさえ認めるに違いありません。私は予期せず就任式の詳細について説明してしまいました。就任式に先立つ日は、大勢の群衆があらゆる場所から街に入って来て、泊まる場所が確保できず、後から北人々はジョージ・タウンに行きました。そこもすぐにいっぱいになってしまい、その他の者達はアレキサンドリアに行きました。火曜日の午後、大通りや近くの通りはあまりに混雑して通ることさえ難しかったと聞きました。[中略]。我々は柱廊の南の階段に立っていました。指定時刻になると、将軍と随行者が大通りを進んできましたが、周りに蝟集した群衆のせいで進路が妨げられ非常にゆっくりになりました。離れた場所からも周りの者達と彼を見分けることができた。というのは彼のみが帽子を被っていなかったからです(主権者である人民の前では彼は召使です)。連邦議会議事堂の南側は、文字通り英雄を迎え入れようと立っている多くの人々や彼に続く多くの人々でごった返していました。『そこにそこに彼がいるよ』と異口同音の声が聞こえました。『どれだ』と他の声が聞きました。『彼は白髪頭だ』という答えがありました。『ああ、白髪頭の老人がいる。あの老兵がジャクソンだ』と叫ぶ声が聞こえました。遂に彼は、丘の麓にある門に入って連邦議会議事堂正面に至る道に足を踏み入れました。その瞬間、それまで石像のようにその光景を凝視していたあらゆる人々が正面にいる彼を迎え入れようと右へ左へと殺到しました。もちろん我々は慎みを守るようにして、群衆が我々の前を通り過ぎるまで待って、柱廊を去り、広場の反対側にいる彼のほうへ歩いて行きました。そこには我々の邪魔になるような馬車がなく、連邦議会議事堂の正面にある門から入れました。[中略]。将軍が柱廊に入ってテーブルの前に進んだ時、叫びが空を切り裂き、私の耳でこだましていました。演説が終わると、大統領はお別れの一礼をして、人々と彼を分け隔てていた仕切りが壊され、何とか彼と握手しようと人々が階段を駆け上がりました。連邦議会議事堂を通って丘を降りて大通りに至る出口まで行くのは大変でした。ここでしばらく彼は立ち止まっていました。騒がしい群衆の間を通ることはできませんでした。しばらくして通路が開かれ、彼は帰路のために準備された馬に乗り(というのは彼は連邦議会議事堂まで歩いてきたからです)、たくさんの者達が後に続きました。田舎者、農夫、紳士、馬に乗った者、馬に乗っていない者、少年、女性、そして、子ども、黒人、白人などがいました。馬車、荷馬車、そして、荷車が彼を負って大統領官邸に向かいました。[中略]。我々も大統領官邸に向かいましたが、大通り周辺は騒がしい人々でいっぱいだったので近道を使えそうにありませんでした。その日は感じの良い日で、活き活きとした情景であり、我々が角を行ったり来たりするたびに新しい知り合いに出会って話して握手するために立ち止まりました。[中略]。我々は3時頃までここで歩き回ったので家に帰った時、歩けなくなってソファに倒れ込みました。ある者がやって来て、大統領官邸前の群集の様子を見ると、どうやら大統領官邸に入れそうだと我々に教えてくれました。我々の目的を達成する時が来ました。しかし、我々が目撃した光景はいかなるものだったでしょうか。人民の威厳は消え去り、やじ馬、暴徒、少年、黒人、女性、子どもが争って乱暴狼藉していました。なんて悲惨、なんて悲惨なことでしょうか。配置された警察官はまったくおらず、官邸は暴徒でいっぱいになりました。我々は来るのが遅過ぎました。大統領は、オールド・ヒッコリーと握手しようとする人々によってばらばらにされ、窒息させられ、文字通り圧死させられそうになり、裏、もしくは南正面に後退して宿所のギャッツビー亭に逃れました。桶やバケツで運ばれたパンチやその他の飲み物、そして、軽食の奪い合いで数千ドル相当の切り子グラスや陶器が破壊されました。誇張かもしれませんが2万人もいたと言われる人々には、アイスクリーム、ケーキ、レモネードが大樽単位であっても足りませんでした。昏倒した淑女達がいたり、血塗れの鼻をした男達がいたりして、混乱を極めた状態はとても書き表せるものではありません。中に入った者は扉から再び出れらなくなり、窓から出なければなりませんでした。大統領がじりじりと後退させられ壁に押し付けられてしまったので、たくさんの紳士達が体で彼の周りに障壁を作りました。圧力が非常に大きかったので、ある者の話によればボムフォード大佐は群集が大統領の上に倒れ込むのではないかと心配したそうです。それから窓が開け放たれ、人波はようやく出口を見つけましたが、もしそうなっていなかったら大変なことになっていたでしょう。[中略]。このような群集は予期されていませんでしたし、したがって、対抗策も準備されていませんでした。こうした接見会に臨むのは群集ではなく紳士淑女のみだと考えられていたからです。しかし、就任式はまさに人民の日でした。そして、人民の大統領と人民が統治するようになりました」