人民の武装権について

銃乱射事件が起きるたびに銃規制の話題が出る。そして、銃規制に反対する声も出てくる。銃規制反対派が必ず持ち出すのが合衆国憲法に規定された人民の武装権である。

確かに合衆国憲法では人民の武装権が認められている。重要なのは人民の武装権がなぜ認められているかである。

合衆国憲法は二重の性格を持つ。すなわち、諸州政府と連邦政府の契約という性格と人民と連邦政府の契約という性格である。今回の場合、後者が問題となる。

独立宣言で宣言されているように、人民は社会契約に基づいて政府を樹立する。すなわち、自然状態において人民は相争って無秩序状態になる。それを避けるために本来、人民が持つ権限の一部を政府に預けて公共の福祉を図らせる。

ではなぜ人民の武装権は認められているのか。一見すると、人民の武装権は社会契約の仕組みそのものに反しているように思える。実はそうではなく、人民の武装権も社会契約の重要な一環である。独立宣言で謳われているように、もし政府がその樹立目的を実現できなければ、人民はその政府を改廃する権限を持つ。それを実現するための手段として人民の武装権が認められている。

しかし、誤解してはならない点がある。人民の武装権は、あくまで人民が集団的に圧政的な政府に対して武器を手に立ち上がる権利を保障している。個人が個人に武器を向ける権利ではない。それは社会契約の根本的な原理を破壊することに繋がるからだ。したがって、銃乱射事件が起きた場合、人民の武装権を根拠に個人が武器を持つ権利を主張するのは正しいとは言えない。